今朝の新聞に俳優、緒方拳さんのコラム記事が掲載されていた。「習字」の話である。書道ではなく習字。「習う字」という感覚が気に入っているそうだ。ゆえに書道ではなくあくまで習字である。好きな言葉を見つけるたびに、和紙を束ねた雑記帳にゆったりと筆を運ぶ。「坐辺師友」「光石不輝」。自宅二階の板の間で、しこを踏むような格好で「字を習っている」そうである。
言葉の意味が分らなかったので検索エンジンで調べてみる。「坐辺師友」は、自分の周囲のありとあらゆるものが、師であり友であるという考え方だそうだ。「光石不輝」は残念ながらヒットしなかった。造語なのだろうか。輝いているように見える石も光を反射しているのに過ぎず、自らが輝いているわけではない。ひょっとしたらこんな意味かもしれないな、と想像してみる。
その緒方さんが、とりわけ気に入っている言葉があるそうだ。ハラハチブンメー。一瞬、なんのことか分らなかった。そう「腹八分目」である。
「毎日を大切に、というほど切羽詰っていないけれど、死が垣間見える年齢。舞台をやりながら、あまり力まなくてもいいと思うようになった」
ご本人の言葉だ。人は死を意識するとゼンマイをぎりぎりまで巻いてしまうかと思ったら、違うという。少し意外な感じがした。ちなみに緒方さんは66歳。それにしても「ハラハチブンメー」という言葉はいいな、と思う。カタカナと音引きの脱力具合もほっとする。憂鬱なニュースに触れるたび、ぼくも少しカリカリしていたみたいだ。その感情のとげとげしさが、ここ数日のエントリーにもあったかな、と反省。筋ばった文章につき合わされる方は、たまったもんじゃない。しばらくはハラハチブンメーでいこうと思います。