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2004.07.28 Wednesday ... - / -
#優勝、おめでとう

28日の朝刊に小さなコラム記事を見つけた。ジャンプの葛西紀明選手が、ワールドカップ第19戦ソルトレイク大会で優勝したことを報じたものだ。ただの金メダルではない。31歳と8ヶ月。W杯の最年長優勝記録も更新したのである。ちなみに従来の最年長記録は、ドイツのバイスフロフ選手が96年に達成した31歳10ヶ月。葛西選手はその記録を約2ヶ月更新したことになる。
ここ数年精彩を欠いてはいるが、ご存知のように日本のジャンプは世界レベルにある。並み居る強豪選手を押しのけて、ヘルメットに日の丸をつけてW杯に出場するだけでも至難の技だ。葛西選手の場合は、若手選手の台頭を退けW杯出場選手に選出され、見事、それも最年長記録の更新というおまけまでつけて優勝したのだから、正真正銘の快挙である。

しかも、彼は数年前に着地に失敗し鎖骨を骨折している。一時は選手生命も危ぶまれた。さらに、所属していた地崎工業やマイカルが相次いでスキー部を閉鎖し、競技そのものを断念しかけたこともある。こうした苦難を乗り越えた上での優勝は真に賞賛に値する。

しかし、ぼくが気になったのはコラムの後半である。

記事によると、葛西選手は実家に放火され、母親が全身やけどを負い亡くなったそうである。その闘病ノートに「紀明の試合が見たい」と書いてあったのを見つけ、彼は今日まで飛び続けたそうだ。放火された上、母親まで亡くしてしまったことはさぞかし無念だと思う。それを乗り越え世界の舞台で優勝したのだから美談である。このコラムを読んで何も感じない人は少数派だろう。もちろんぼくも感動した。

しかし、ジャンプはその飛距離と飛型点の合計を争う純然たるスポーツだ。どんな苦難があったとしても、それがポイントに加算されることはない。合理性と客観性を徹底的に追求した競技である。感傷が入り込む余地はないのだ。この「純度」が競技としてのジャンプを支えてきたし、人々を魅了してきたのだと思う。もし、センチメンタリズムによって成績が左右されるなら、日本中から不幸な選手を集めてきてワールドカップに出場すれば良いだけの話だ。

ぼくは、スポーツ報道で、選手の不幸や苦難を一緒に伝えることがすべて悪いとは思っていない。事実、選手の苦悩や挫折はスポーツというドラマに奥行きを与える。しかも、こうした伝え方は日本特有のものというわけでもなく、アメリカのメジャーリーグやフットボールの中継でも、アナウンサーは盛んに選手のエヒソードを伝えている。しかし、お涙頂戴が許されるのは、スポーツをドラマとしてとらえた場合であって、スポーツの本質はドキュメンタリーである。

私たちは、一流選手の超人的な力と技と美しさ酔いたいのではないだろうか。美談という「上げ底」は、そこには不要だ。スポーツを神聖視するつもりはないけれど、美談が一人歩きすることは主客逆転だし、大げさに表現するなら、スポーツそのものへの冒涜である。なにより、選手自身がそれを望んではいない。プレイヤーはドラマの主人公ではなく、ドキュメンタリーの主人公であることを望んでいる。そうでなければ、スポーツは安っぽいソープドラマに堕落してしまうだろう。



ドイツのバイスフロフ選手の名前が出たので思い出しのだが、リレハンメルオリンピックの時に彼はドイツのキャプテンとして団体戦に出場していた。その時の日本ジャンプ陣は絶好調で、最後に飛ぶ原田選手がよほどの失敗をしなければ、金メダルは手に入れたのも同然だった。

その原田選手がスタートする直前、後に続くバイスフロフ選手がおもむろに右手を差し出し「優勝おめでとう」と言いながら握手を求めた。この突然の「祝福」に原田選手は動揺した。そして、失速。日本は銀メダルに終わった。たしかにフェアではないけれど、ぼくはバイスフロフの握手を汚いとは思わない。

長野オリンピックでは、敗れたスケートの女子選手がミックスゾーンでのインタビューを無視した。このことがずいぶん非難されたけれど、ぼくにはむしろ感動的だった。バイスフロフにしても敗れた女子選手にしても、それほどぎりぎりの状況で選手は戦っているのだ。限界まで張り詰めたピアノ線のような緊張感と迫力があるからこそ、スポーツは感動を呼ぶのだと思う。
2004.02.27 Friday ... comments(0) / -
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